乳幼児, 教育・しつけ

散らかりはストレス?脳のデフォルトモードネットワークとスローなくらし

散らかりはストレス?脳のデフォルトモードネットワークとスローなくらし

「お片づけ」がまったくテーマになっていない家は、なかなかないんじゃないかと思います。

わたしも、外出や仕事から帰ったあとに、部屋が散らかっていると、かえって疲れます。

休めない感がつらいのか、

妊娠以来ひきつづく、巣作りモードに抵触するからつらいのか。

どうして散らかっていると、こんなに何かが辛いんだろうと思っていました。

「何もしていないとき」「ぼんやりしているとき」にこそ、脳は活発にはたらいている……。

その事実を知った時に、散らかった部屋がストレスフルな理由がわかった気がしました。

 

脳は何もしていないときも活発にはたらく

脳をスキャンして活動状態を調べられる技術ができたのは、比較的最近のこと……。

その最新技術を使って、何かをしているときの脳のはたらきを調べようとしたのだそうです。

ところが、していることをやめると休むと思っていた脳が、実は休みませんでした。

休むはずの時間に、とても活発に、神経活動を行なっているのが、発見されたんですね。

わたしたちが「何もしていないとき」「考え事をしないとき」、脳はとてもエネルギー消費の高い状態で、一生懸命活動しています。

それを、脳のデフォルト・モード・ネットワークと呼ぶそうです。

 

デフォルト・モード・ネットワークで何をしている?

ぼんやりしたり、夢を見たり、何もしていないとき、脳が活発に、何をしているかというと。

新しい学習や経験や未了のタグを、すべて振り返って検討しているんだそう。

その領域は、創造的に考えるときにはたらくものでもあるんだそう。

つまり、デフォルト・モードではたらく領域はいろいろとっぱらって検討しているので、思わぬ点と点が結びつく。

夢は典型的ですが、論理の飛躍がままありますよね。

アルキメデスの「我、発見せり!」じゃないですが、天啓って、関係ない時にふってくる描写が多い。

積極的で目的のある活動をやめたときに、ふいに降ってくるから、だから天啓。

そんなこともできる、天才をつくるモードであるともいえますね。

それをもっと日常の文脈におきかえると、

たとえば私だったら、仕事のあいま、

手癖で晩ごはんを作りながら、頭は間違いなくデフォルト・モードに入っています。

そこで夕方までの作業をふりかえるようななにがしかの整理を、脳は、かなり活発にしていると予想します。

実際、頭のなかで、未整理のなにかが渦巻いている感じがすることも多いです。

知覚の選択性が超えないところ

目に映るものがすべて、見えているわけではないです。

そこにあるすべての音が、聞こえているわけではないです。

でも、認識されなくてもそれらはそこにあり、選択する/しないという情報負荷にさらされています。

机の周りを片付けたら作業がはかどる、などもよくいわれますが、同じ原理です。

目に入るノイズが多ければ多いほど、集中もさまたげされ、デフォルトモードでの整理も、さまたげられるに違いない……

デフォルト・モードに入りつつある状態で、散らかったままの部屋が目に入ると、強制終了させられるような、頭が悲鳴をあげたくなる状況なんだと思いました。

 

スローなくらし、スローな育児

同時に、スローなくらし、スローな子育てをすすめる本のことも思い出しました。

デフォルド・モード・ネットワークは、人間にとってかなり基本的な、生存に直結するモード。

だから、新生児でも同じデフォルト・モードが、働いているそうです。

子どもには子どもの学習ペースがある、と、よくいいますよね。

結局、脳が学習を整理する時間がないと、身につかないんです。

習い事や幼児教育に対する注意としてもよく言われます。

急げば良いわけではない、子どもにハイペースで新しい何かを詰め込むのは向いていない。

子どもはあらゆることが学習機会になりますから、デフォルト・モードで整理できる時間をつくってあげないと、たしかに頭のなかがとっちらかりそうです。

 

3歳児神話とともに失われたものについて

脱線しながらさらに書き連ねます。

下はそもそも、3歳児神話を検証する文章からの一文です。

子どもたちが失ったもっとも顕著なものは、この詩的な「軒遊び」ではあるまいか。赤ん坊を卒業しかけている幼い子どもたちは、自分の家と、自分の親密な関係の人間のいる小さな環境で、まどろむように1日をすごすことが許されていたのではなかったか。

三砂ちづる『女が女になること』p186

軒遊びとは、柳田国男が分類した子どもの遊びのひとつだそうです。

外遊びではなく、親のかたわらにべったりいるわけではない、「そこいらにいるはず」という状態で、「家に手があり愛情が豊富なれば、たいていは誰かがそれとなくみている」。

それは「誰か」であって、母でなくてもいいかもしれません。

ここでは仮に母親が3歳までそばにいるとしても、以前は母親が何か仕事をしている横で、子どもがつかず離れずマイペースに時間を過ごしていることが多かったはず、という指摘です。

確かに昔の本やマンガのほうが、繕い物をする母の近くで子どもが一人でぼーっとしていたり無心に過ごしている描写がある気がします。

是非はともかくとして、今の子どもたちには事実として、その時間が減っています。

ぼーっとするよりは、テレビを見ているかもしれないですね?

だから、デフォルト・モードが減っている子どもたちがせっかくぼーっとしているときは、あまり邪魔したくないなぁとも思っています。

別の媒体からひいてみると、デフォルト・モードネット・ワークには、

自己認識、見当識、および記憶に関わる基本的な役割があると考えられている。

デジタル大辞泉より

見当識とは、「場所やそのときの状況に関するもの」を含みます。

ぼーっとしながら、現在置かれている状況を洞察・展望し、照合確認する。

自分と周囲との関係を知る。

学んだものを記憶していく。

子どもがそれを繰り返している周囲が、むだに散らかっているのはどうなの……?と、やはり最低限のお片づけは必要な気がしますが、

子どもにとっては散らかりでなく、愛着を作るためのおもりでもあるかもしれない。

そこは、コミュニケーションのもとに、折衝していく範疇もあるんでしょうか……

いずれにせよ、部屋で落ち着いたり、ぼーっとするいとまもないのは、親子ともによろしくない。

この領域は、全体に、多少スローダウンしたほうが、ハッピーそうです。

 

【参考文献】

 

 

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執筆者について

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本やムックの編集者、時々ライター、一般社団法人 日本マクロヘルス協会理事。3人の子を育てる高齢出産ワーキングマザー。編著に『子どもを守る自然な手当て』、企画・翻訳書に『小児科医が教える 親子にやさしい自然育児』『親子で楽しむ おむつなし育児』など。大人向けのノンフィクションや小説、実用書、児童文学、絵本など、多くの出版物を編集・製作中。趣味はマンガ読み。

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