ベビーサイン、ベビー手話(赤ちゃんとの対話), 乳幼児

一人称にみる子どもの発達

一人称にみる子どもの発達

子どもは自分の名前で自分を呼ぶ

子どもは自分のことを、ひとに呼ばれる名称……
自分の名前で呼ぶことが多いです。

いま年長さんの2番目は、
100パーセント自分の名前で、自分を呼んでいます。

小3の長女も、家の中では、ですが、
今でも一人称代名詞でなく、自分の名前で自分を呼ぶことがあります。
まあその場合は、家族に、親に甘えている、というような
ニュアンスを感じることも多いですけどね。

そんな上2人の子どもを見ていて、
小さい子どもの自称詞は、自分の名前であるのが当たり前
だと思っていたのですが、
まだ1歳台の3番目が、まだまともに話せないのに
自分のことを「あたち」って呼ぶようになりました。
びっくり!

子どもが増えると、それぞれの違いによって、
新しく気づかされることも多いです。

子どもが2人よりは3人の方が育てやすい、というのは
3人子どものいる家庭ではよく言う話ですけど、
育てやすさの問題だけではなく、
3人に増えたことで「当たり前」だと思っていたことが
崩されるのが面白いことが多い。

数が増えた醍醐味だなぁ!と思っています。

1歳児がとにかく、何かがほしい時などでも、
「あたち! あたち!」と言ってくるので、
それにつられて、「あたちは〇〇がほしいの~」という風に
こちらが「あたち」を二人称代名詞として
使ってしまうことも多いです。

これって、3番目は生まれた時から
複雑な対人関係にさらされているから
自我の発達も早いってことなんでしょうか?

自称詞は自我が発達してから

文献を探してみたら、やっぱりありました。
研究発表「幼児における自称詞の使用」。

自称詞は、「他者との区別において
自我と関連して獲得されはじめる」もの。

自分の名前にせよ、人称代名詞にせよ、
自我が発達しないと、使うようにはならないそうです。
まぁそりゃそうですよね。

中でも、一人称を使える子どもは
他者視点、特に心理的視点を、獲得できているとのこと。

のんびりベビー手話をやることができた一番目と違い
3番目ともなると、ほとんどほったらかしですが、
しょせん母親ができる工夫なんてたかがしれてます
(しないよりはいいかもですが)。
いろんな人と交流して育つのが、
子どもの精神の発達にとてもいいのだと、繰り返し思い知らされている気がします。

適度に手を離し、放流してあげるのが、子どものためになるのだなぁ……と。

そして思い出すのが、ロングセラーの『子どもへのまなざし』。
とてもいい本です。

子どもが振り返った時に、見ていてあげられる母親でありたいと思いました。

一人で歩く子どもが振り返ると母はちゃんと見ていた、
を繰り返すうちに、
子どもはどんどん一人で安心して
歩いていけるようになるのだそうです。

だからケータイを携帯しなかったんですよね。
スマホ持ってないのは、そのせいだけではないですが、
画面ばっかり見てるのは、子どもに良くないなぁと素朴に思ったわけです。

なーんて、そんな風に真面目に対処できていたのは主に一人目の時。
今はもう、ナチュラルにほったらかしです。
それでもかえってすくすく育ったりする、
家族が増えるって、とてもありがたいことです。

母子カプセルにならない子育て

一人目を育てている時、お手当ての先生から
「母子カプセル」という言葉を聞きました。

一人目を、一生懸命子育てしていた私にとって
あまりピンとこない言葉だったのですけど、
「このまま母ひとり子ひとりで、
この子ひとりを大事に育てるのでもいいかも」と
思ったこともある自分を思い出します。

母子カプセル=過剰に密着した母親と子供の関係をいう言葉。通常は子の成長にともなってカプセル(母子一体の世界)が破れ社会性を身につけるが、自我形成期を過ぎても密着関係が続くと、母子が共依存に陥り、子の精神的成長過程に問題が生じることが多い。

 デジタル大辞泉より

今ともなると、親族が近くにいない私の孤立無援さと
ある種の一生懸命さを見て、早い段階で、
ヒントをくれていた先生の気持ちがわかりますね。

そういう意味では、大家族の方が良いし、
きょうだいはいたほうがいいです。
(2番目がなかなかできなくて悩んでらっしゃる方は、ごめんなさい。
近々、高齢出産のインタビュー記事をアップします)

鏡像段階に入りやすいメディア環境にいる子どもたち

さて、なんだか発達のいい(?)3番目の話に戻ります。

上2人の真似をしたくてしょうがない3番目は、
自分が自分であることに、気がつくことそのものが、
たぶんとても早かったと思います。

そもそもいまどきの子どもは、
鏡像段階(ラカンの定義によると6〜18ヶ月)に入るの、すごくスムーズなんじゃないでしょうか。

鏡像段階(仏:stade du miroir)論とは、幼児は自分の身体を統一体と捉えられないが、成長して鏡を見ることによって(もしくは自分の姿を他者の鏡像として見ることによって)、鏡に映った像(仏:signe)が自分であり、統一体であることに気づくという理論である。一般的に、生後6ヶ月から18ヶ月の間に、幼児はこの過程を経るとされる。

幼児は、いまだ神経系が未発達であるため、自己の「身体的統一性」(仏:unité corporelle)を獲得していない。つまり、自分が一個の身体であるという自覚がない。言い換えれば、「寸断された身体」のイメージ(仏:image morcelée du corps)の中に生きているわけである。
そこで、幼児は、鏡に映る自己の姿を見ることにより、自分の身体を認識し、自己を同定していく。この鏡とは、まぎれもなく他者のことでもある。つまり、人は、他者を鏡にすることにより、他者の中に自己像を見出す(この自己像が「自我」となる)。

Wikipediaより

鏡……以前に、大量の写真を撮られ、動画を撮られる自分を
本当に小さい頃から意識しています。
ポーズをとることを覚えるのも、みんな、とても早かったです。

自分の動画を見るときの反応たるや、小さくても、
面白くてしょうがないみたいですね。
そしてすぐに、その動画が自分であると分かるようになります。

シュタイナー的に言うと、この自我の獲得は良くないのでしょうけど。
写真撮るなと言われても、撮っちゃいますよねえ。

発音しづらい名前の場合

3番目の一人称の獲得の早さに驚くと同時に、
あれ、なんで、3番目の子は、
自分のことを自分の名前で呼ぶ段階がないのだろう。
と考えて、ふと気づきました。

名前が「ゆ」で始まるので、発音しづらいんです。

子どもの言葉の発達は、物理的に、口の機能の発達に
制限されるので、
3番目は、その他の語彙でも、
発音できない言葉や、発語できない状況では、
適宜、手話やジェスチャーを使い、
言いたいことを伝えてきます。

例えば、おっぱいから口を離して喋るよりは
手話を使って「私はまだおっぱいが飲みたい」のだと
雄弁に語ってくる。状況によって使い分ける形には、
ジェスチャーも入るんですね。

「あたち」を言うようになる前は、
自分を指差していたので、
名前が言えない以上、発音しやすい「あたち」になったんでしょう。

子どもに発音が難しい音で始まる名前をつけた親御さん!
発音しやすい愛称をつけるか、
ベビーサインを教えてあげてください。
もちろん、自我の獲得をどちらかというと遅くしたいような子育てをしていない場合、ですけど。

子どもはその方が便利で、ストレスが減ると思います〜。

【参考文献】

一度は読まれたらいいと思います。ほっこりしますよ。

“ちょうどいい”自然なくらしとお手当てアドバイザー
 望月 索 ☆ 

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執筆者について

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本やムックの編集者、時々ライター、一般社団法人 日本マクロヘルス協会理事。3人の子を育てる高齢出産ワーキングマザー。編著に『子どもを守る自然な手当て』、企画・翻訳書に『小児科医が教える 親子にやさしい自然育児』『親子で楽しむ おむつなし育児』など。大人向けのノンフィクションや小説、実用書、児童文学、絵本など、多くの出版物を編集・製作中。趣味はマンガ読み。

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